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zoom RSS わが国におけるポストコロニアル宗教批判と宗教概念の再検討(2)

<<   作成日時 : 2009/02/23 16:14   >>

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この論文は『精神科学」(日本大学哲学研究室、45号pp.13-33、2007年)に掲載された論文の第2部です。ホームページ用に若干の変更がほどこされています。引用等には印刷されたものをご使用ください。

4.わが国におけるポストコロニアル宗教批判
 菱木によれば、いわゆる広義の国家神道は神道以外の諸宗教をも含み、一定の政治目的のために形成されたものであった。国家神道の広狭の定義をめぐる論争をおくとしても、仏教、キリスト教を代表とする諸宗教が一定の政治目的のために動員されたこと、あるいはすすんで一定の政治目的の遂行に協力した事実を否定することは出来ない。菱木は浄土真宗の植民地布教を例示する(菱木 1993)。また、日本基督教団の戦争遂行への協力は、戦後同教団の戦争責任告白にいたる同教団の自己認識としてくり返し強調される所である(武田 1992:21-41)。戦後に表明された宗教者の手になる宗教批判はこの前提にたってなされているが、その批判はまた、自己の属する教団の責任に対する批判の枠を超え、宗教そのものに対する批判へと向けられる(以後、個別の諸宗教については「教団宗教」の語を用い、宗教そのものと区別する。)

4・1 宗教改良主義的批判
 菱木は1985年、中曽根首相の靖国神社参拝に対する違憲訴訟を機に結成された「真宗大谷派反靖国全国連絡会」の事務局を担当し、以後同問題に対するかかわりをもちつづける仏教者・研究者である。
 菱木によれば、宗教は「世俗化現象」の中で「もっぱら『個人の内面』だけに限定して観察されるようになってきたが、本来、政治的な権力や暴力と結びついて、社会的に重大な意味をもつものであった」(菱木 1998:10)という。
 菱木はそのような宗教理解を立脚点とし、宗教の評価基準問題を提起する。その評価基準は上述の宗教理解からして「歴史と社会」(同:17)であるという。すなわち、具体的には「宗教が人びとの社会的な抑圧や差別や支配に対して、それを承認させたり正当化するようにはたらいているのか、逆に、それからの解放に根拠や希望を与えるようにはたらいているのかということを基準としたい」(同上)という。同基準に基づき、宗教は「支配イデオロギーとしての宗教」と「解放の宗教」との両者に区分されるとの立場である(同:18)。
 菱木によれば「支配イデオロギーとしての宗教」は「脅しとまやかしの癒しがセットになった」(同:19)ものであり、これを「宗教の本質のひとつと考えることさえできる」(同上)という[9]。
 他方、「解放の宗教」とは「『解放』や『平和』を単に『こころ』の問題として考えるのではなく、社会的な解決・具体的な解放を視野にいれるものでなければならない」(同:19)。そして、そのような「解放の宗教」は「支配イデオロギーとなってしまった既成の宗教を、批判的に克服するものでなければならない」(同上)という。
 菱木はキリスト教「解放の神学」から重要な影響を受けたとの自覚をもつが(同:19)、「解放の神学」を論じる文脈においては「支配イデオロギー」としての過去のキリスト教にふれ、キリスト教における霊魂と肉体の二元論は、宗教は「こころ」にのみかかわるものであるとし、「現実の抑圧と支配の制度と習慣の是認」(同:183)と結びついたとし、そのような霊肉二元論に基づく宗教が「『アヘン』であることは、改めて言うまでもない」(同:187)という。
 「こころ」の問題にのみみずからの関わりを限定し、現実の抑圧、支配を隠蔽した宗教の在り方は、仏教についても同様であり、菱木はしばしば「境地主義」の呼称をもって仏教のそれを批判する(菱木 2005:142,156)。また、浄土真宗の戦争協力をめぐる議論においては「近代教学」がさかんに批判の対象とされ(菱木 1998:196, 2005:121-180)、「真俗二諦論」が批判される(菱木 1993:46,1998:187)。
 菱木は「霊肉二元論」「境地主義」批判の文脈において、「差別を受容せよと説き、侵略を聖戦と賛美し」(菱木 1998:240)、「そればかりではなく、今も、差別の根拠づけを続行している」(同上)浄土真宗を自己批判する。現在もつづく例としては真宗大谷派の性差別(同:240-245)が指摘される。
 しかし、菱木の議論は宗教そのものの否定にいたるものではない。菱木は親鸞に立ち返る形で「解放の真宗」の形成を目指す(同:211-251)。現実に対する「批判原理」として「浄土」をとらえようとの試みである。

 日本仏教、とりわけ浄土真宗研究者としての立場から国家神道、靖国問題に近年積極的評論活動をなす研究者として阿満利磨を指摘することが出来る。
 阿満は、国家神道がその神道非宗教論により、宗教を「私的」「心」の領域の問題としてとらえる現代日本人の宗教観を創出したとし(阿満 1996:79)、その結果、日本人の宗教観は「痩せた」ものとなったという(同:112)。阿満はそれに対し、浄土真宗を中心に「豊かな宗教観」の回復を訴える(同上)。
 阿満によれば、浄土教をはじめ、宗教には現世を相対化する視点があるが(阿満 2005:177)、「現世主義」にはそれがなく、この世に絶対的秩序を見出す(同:126)という。阿満は、日本におけるこの「現世主義」の傾向を江戸期の伊藤仁斎から説き起こし(同:136)、荻生徂徠、本居宣長に同様の傾向を指摘する(同:185)。この「現世主義」が排仏論と結びつき(同:183)、天皇制絶対国家の理論ともなる(同:184)との議論である。また、この「現世主義」は天皇制絶対国家崩壊後も日本人に引き継がれているとの理解が示される(同:185)。
 阿満はこのような認識に立ち、国家を相対化する、国家を超える宗教の復興を説く。阿満にとって宗教とは、この世を超越するものであるが、同時にその視点から現実の不平等や不自由に自らかかわってゆくものだという(同:240)。

 浄土真宗なる教団宗教にそれぞれの立場からかかわりつつ、またその立場から戦後もつづく宗教の国家神道的在り方に批判的にかかわりつつ、菱木と阿満にはその議論において一見大きな相違がある。特に近代教学を代表する清沢満之に対する評価をめぐっては、その「精神主義」を高く評価する阿満(1996:113-116)と、「天皇制ファシズムの擁護論者でしかなかった」(菱木 2005:177)とし、久木や今村の清沢論(久木 1995、今村2003)をきびしく批判する菱木(2005:121-256)との間には、著しい開きがある。すなわち、一方は「精神主義」を評価し、他方は「境地主義」を批判する[10]。
 しかし、筆者は両者がともに「在るべき」宗教としての規範的立場から、とりわけ教団宗教の「在るべき」姿という立場から、国家神道批判をなしている点に注意を促したい。阿満の論じる「精神主義」はこの世を超越する立場からこの世に批判的にかかわることを、宗教の在るべき姿として前提としている。「精神」に自己閉塞し、この世への批判的かかわりを喪失すれば、それは菱木の言う「境地主義」に等しいと言えよう。阿満の「精神主義」をめぐる議論はすでに規範的である。また、「解放の神学」や「エンゲイジド・ブディズム」[11]といった海外の事例に範が採られるのも、海外事情に範を求めた教団宗教の在り方に関する規範的議論からの国家神道批判であり[12]、その結果近代国家そのもののもつ宗教性(自己聖化)への批判は希薄化されてしまっている。特に菱木は「支配イデオロギーとしての宗教」を「宗教の本質のひとつと考えることさえできる」(菱木 1998:19)としつつ、なお「解放の宗教」を模索する議論を展開する。教団宗教に実存的にかかわる者の宗教批判のもつ限界というべきであろうか。

4・2 宗教拒否的批判
 教団宗教に対する規範的立場を離れ、宗教そのものに対する批判を展開した宗教者・研究者として、日本基督教団牧師桑原重夫の議論を取り上げる。
 桑原は日本基督教団社会委員長として靖国問題のみならず、戦後日本基督教団の社会的取り組みを指導した人物のひとりである。
 桑原は「共同幻想」としての国家支配形成に寄与する機能を有するものとして宗教をとらえる視点を一貫して示す(桑原 1986:15,30)。宗教は共同体があってこそ個人があるとする「幻想」を与えるが、その宗教の機能をもっともよく現わし、共同体形成の中核となる役割を果たすものが祭りであり(同:39)、この宗教の機能はしばしば「排外主義」と結びつくという(同:40)。
 桑原によれば、近代の国家とは、「資本主義の原則にしたがって国家独占にまで発展して民衆を搾取する、いわば財閥やらブルジョアの政治機関にすぎない」(同:81)が、同時に国家は宗教による民衆の統合により下から支えられるものでもある(同:58)。すなわち、桑原は、民衆は「『神』や『国家』を、『個人』としての人間を超えたところに想定する共同体を求めてきた」(同:116)とし、「『神』を統合の中心とする『国家』や『共同体』に包まれることによって、個人の生活の中で生じてくる欠如意識を解消し、不安から解放されてきた」(同上)のだと言う。そのような形で国家と宗教とは結びついてきたとの理解である。
 近代日本においては、このような国家と宗教との結合をつくり出すために天皇制が利用されたのであり、戦後日本人は象徴天皇制という形での天皇制の存続により、「戦前・戦後を一貫する日本の『国家』が保証された」(同:56)との思いをもつにいたっており、靖国神社問題は単に「信教の自由」の問題としてではなく、国家と宗教との結びついた民衆統合という戦前から継続する問題として議論されなければならないのだという(同:68)。
 桑原の宗教批判は、自ら牧師としてかかわるキリスト教への批判へと展開する。
 桑原によれば、「キリスト教は一貫して国家による民衆管理の道具であり続けた」(同:172)のであって、これはローマ帝国下から近代の日本におけるまで変ることはないという(同:172)。戦前の日本のキリスト教会が天皇制を受容した素地は、キリスト教そのものにある(同:147)。すなわち、「共同幻想」を与えるという宗教の特徴をキリスト教もまた有するのであって、その意味で「キリスト教の信仰の在り方とか教会のつくられ方とかいうものがどこか天皇制国家と相通じるものがあって」(同:147)、日本のキリスト教会は天皇制を受容したのだという。
 桑原のキリスト教批判は、ついにはパウロ主義批判に展開する。すなわち、桑原によれば、パウロ思想は「現実と観念とを転倒させることによって、宗教が体制順応のイデオロギーとなった好例」(同:186)であるという。そして、その思想の要こそ「信仰義認」であるのであるから、この「信仰義認」に対する批判を欠落させて、パウロの今日的意味を問うても、「それはかえって体制的秩序に加担することになる」(同:245)のだという。
 桑原の思想は、靖国神社問題顕在化後の日本における宗教者・宗教研究者の宗教批判として最も徹底したものといえよう。

5.「公共宗教」論をめぐって
 靖国神社問題顕在化後にわが国にあらわれた宗教批判は、近代日本のナショナリズム・排外主義と結合した権力構造の聖化としての宗教そのものを、そしてそれを補完してきた仏教、キリスト教などの教団宗教の在り方を批判してきたと言えよう。その宗教の機能、教団宗教の在り方は戦前・戦後を貫いて継続しているものとの認識が示される。
 しかし、教団宗教にかかわる研究者の宗教批判の大勢は、以上の認識にもかかわらず、「在るべき宗教」としての「解放の宗教」(菱木 1998)への希望を示す。この「在るべき宗教」をめぐっては近年の津城の「公共宗教」論への言及を避けるわけにはゆくまい。
 津城はアメリカにおける「公共宗教」をめぐる議論から、「社会統合」(津城 2005:7)あるいは「集団を束ねる機能」(同上:12)を有する宗教が、よい市民をつくりながら(同:241)「共通善」の実現に資する(同:242)ものとして機能する道を摸索する研究を公にしている。
 津城の議論は、特定の宗教を支持することなく、宗教全般を真実として受容する態度からなされ(同:248)、「戦争に動員され得ない集団的な宗教性のあり方を規範的に析出する」(同:28)ことを最終的関心のひとつとするものであるという。津城によれば、「公共宗教」の在り方をめぐる議論は「聖なるもの」と「共通善」という「二つの焦点に収斂する」(同:264)。「聖なるもの」はナショナルな現れとしては戦争につながりやすい(同:256)。それ故、「共通善」にしろ「聖なるもの」にしろ、グローバルなそれらが求められるわけであり、宗教がグローバルな「共通善」と結びついたグローバルな「聖なるもの」を求めることこそが、人類的な「公共宗教」の成否をにぎるという(同:257)。津城は「公共宗教の最も不幸な姿を描けば、内的には成員を統制し、抑圧し、外的には他集団を排除し侵略する、そのような非人道的な政治の強力な道具である」(同:267)という。
 津城の描く「公共宗教」の理想的姿は可能性にすぎないのに対し、「最も不幸な姿」は人類史上に何度も実現を見ている。本稿の研究成果の範囲においては、筆者には「集団を束ねる機能」としての宗教が、権力構造の聖化と容易に結合してきた近代の歴史を、宗教の実態として直視せざるを得ないように思われる。「在るべき宗教」をめぐる議論は教団宗教に実存的にかかわる者の議論、あるいは「宗教全般を真実として受容する」者の議論としては理解し得るものの、それが宗教の実態を隠蔽してしまう恐れもないとは言えまい。すくなくとも近代の植民地支配をなした国家においては、宗教は国家という「主人の道具」であり、植民地住民として支配された人びとも、植民地支配に動員された人びとも、支配したと理解せざるを得ず、靖国神社問題はそのような宗教の在り方が、植民地支配崩壊後も継続している事実を示しているように思われる。それでも、教団宗教の側からそのような宗教の在り方に対する批判がなされる点は確かに戦前と異なる戦後の宗教情況の特徴とは言えよう。しかし、集団を束ねる機能を担い権力構造を聖化することに宗教の現実の現れを見る限りにおいては、宗教は近代において国家主義的傾向やコロニアルな言説に一時的に支配されたわけではなく、そもそも国家主義やコロニアリズムと親和性が高い、と結論せざるを得ないように思われる[13]。

6.結語 宗教概念の再検討へ向けて
 宗教概念の再検討は今日の宗教学の重要な課題として意識されている。土屋は日本宗教学会においても1977年にシンポジウム「宗教概念の再考」が企画されて以来、この流れは続いているが、現在はまさに「転換期の特徴」が顕著になりつつある「宗教論の曲り角」にあるという(土屋 2006:91,92)。
 宗教概念の再検討はとりわけ、「教団宗教」の外部に宗教を再発見しようとする方向に向かっている。
 島薗が「新霊性運動」研究において志向する方向はそのような視点と言えよう(島薗 1992、2004)。島薗はまた、特にいわゆる新新宗教についても、教団内における集団性の希薄化をひとつの傾向として指摘している(島薗 2001a:35,67)。もっとも、島薗が新霊性運動や新新宗教とナショナリズムとの結びつきを強調している点にも注目すべきであろう(同:88-170)。
 大村は「偏在宗教」[14]なる語を用いて、「特定(=教団)宗教」の外に現代社会の宗教性を見出すことを主張する(大村 1996:179-201)。大村の「偏在宗教」論は教団宗教の外部に宗教を見出しつつ、他方では社会統合をもたらすものとしても宗教をとらえようとする試みと読むことが出来る。
 末木は、歴史的に形成される「古層」から宗教を見る立場(末木 2006:1-10)から「近代的な『宗教』概念の再検討」(同:226)をせまり、岸本の「究極的意味」「究極的解決」としての宗教論(岸本 1961)を批判するが、これも教団宗教とは異なる視点から宗教をとらえようとする試みである。
 宗教概念の再検討は総じて「近代宗教」のもつ「教団性」を重視する宗教観に対する批判をなしていると言えよう。
 わが国におけるポストコロニアル宗教批判から描き出し得る宗教概念は集団を束ねる機能を担い権力構造を聖化し、成員を統制、抑圧し、国家の行為に人びとを動員する近代の宗教の姿である。このようなものとして宗教を見るのであれば、ナショナリズム(ここではより全体主義的含意を強く有する国家主義と区別する意味でナショナリズムの語を用いる)は、国家と宗教との分離を前提とするいわゆる世俗的ナショナリズムをも含め、諸教団宗教を超える宗教ととらえねばなるまい[15]。ナショナリズムにより正当化される近代国民国家は「いかに生きるべきか」(そして場合により「望ましい死」「望ましい死後」)といった、いわゆる究極的問いさえも諸教団宗教から奪い、自らの管轄の下に置いた。塚田はそのような視点から天皇制下日本国家と諸教団宗教の在り方を天皇制による「宗教的問いの押収」と呼び(塚田 1990:24)、戦後象徴天皇制下日本においてもその機能が継続していると指摘する(同:63,73)。そして、救済を説く教団宗教はその統制の下においてこれを補完する役割を担ってきた。教団宗教の説く「心の救い」は、統制、抑圧に対しては無力であるばかりか、これを補完してきたとの認識である。こうして見ると、わが国におけるポストコロニアル宗教批判は「近代宗教」のもつ「教団性」を重視する宗教観に対する批判であると同時に、その「救済性」に対する批判でもあると言えよう。言うまでもなく、「私事」として「心の救済」を担う宗教としての近代的宗教概念は、近代国家そのもののもつ宗教性を隠蔽する政治性をもった言説であったとの批判も成り立つ。
 筆者にはポストコロニアル宗教批判が示す宗教の姿によって唯一可能な宗教論を構成し得るかのように論じる意図はない。実際、宗教論は多様化に向かっているとの認識(土屋 2006:92)が宗教概念をめぐる議論の現状としては正しい認識であろう。ただ、「私事」として「心の救済」にかかわる近代宗教をモデルとする宗教像は修正をせまられており、そのひとつにポストコロニアルな宗教批判も位置づけられる必要があるとは言えよう。


[1] 岸本によれば、政治、経済なども人間の問題の解決を目指しているが、それは究極的解決を与えることはないという(岸本 1961:29)。岸本においては、宗教をして、政治、経済などと切断する概念が「究極性」であった(同上)。
[2] (サイード 1986[1978])
[3] たとえば(ヤング 2005[2003])
[4] 村井の日本民俗学批判(村井1992, 新版2004)は、柳田にはじまる日本民俗学の南島論を日本の植民地支配を隠蔽するイデオロギーとして、その植民地主義的特徴を解明してみせる。村井が同著作中に、いわゆる南島論を一種のオリエンタリズムと記す(村井 2004:24)点から考えても、この著作はわが国におけるポストコロニアリズムの先駆的試みととらえることができよう。
[5] ナショナリズムを宗教と見る見解は宗教学においても広く見られる。すでにデュルケムは「祖国」が神とされた例として「フランス革命の初年」に言及する(デュルケム 2001上巻[1912]:385)。また、脇本も同様の見解を示す(脇本 1997:301)。
[6] 姜尚中編『ポストコロニアリズム』(姜 2001b)はわが国における同思想の紹介、展開にかかわる若手を含む計14名の執筆者による入門書となっている。日本の植民地主義に関しては、小森により総括される(小森 2001)ほか、中国、韓国、沖縄、東北の戦前・戦後が語られる。植民地主義的言説の戦後への継続は、思想の立場上共有された前提となっていると判断されるが、執筆者の多様性故にその継続を保証した要因に関する統一された見解をみることはできない。ただし、象徴天皇制という形での天皇制の継続がその要因のひとつとして数次にわたり言及されている(姜 2001:10,59,157)ことは指摘し得よう。
 また、本橋は日本における戦前と戦後の「断絶と連続という問題」(本橋 2005:187)を指摘し、あからさまな植民地化とその「収奪や暴力」(同:188)の「断絶」感と、他方で「日本における植民地支配を推進した国家を継承する形で天皇制が残存し、アジアの被害者からの多くの戦後補償裁判が現在でも継続している」(同:188)こと等を指摘している。
[7] ただし、本稿が問題とするのは植民地支配をなした国家の宗教がその国家において解放をもたらし得るかという問いである。植民地支配をなした国家の宗教が植民地住民に受容された場合については別の問題として考察せねばならない。この問題についてはバーバによるすぐれた論考があるので(バーバ 2005[1994])稿をあらためて(本書第3章において)検討したい。また、植民地住民の土着・伝統宗教が解放、独立運動に寄与すると考えられる場合もある。この問題はナショナリズムの植民地への派生とかかわり「反植民地ナショナリズム」と宗教とのかかわりの問題として、やはり稿をあらためて論じるべき問題であろう。
[8] 村上は他の著作においても、靖国神社国営化の動きを国家神道の「復活」への動きと見る理解を示している(村上 1974:209)。
[9] 「支配イデオロギーとしての宗教」は以下のようにさらに分類されている。
(1).「宇宙論的なヒエラルキーを説くことによって、現実の社会秩序、すなわち、支配秩序に超越的根拠を与えるような場合」(菱木 1998:21)
(2).「世俗世界の支配秩序に従うことを、宗教的な帰依や敬虔として説くもの」(同:22)
(3).「死後(来世)の解放や、観念的な平等を説くことによって、現実の差別・抑圧を隠蔽するというタイプ」(同:25)
[10] なお、末木は清沢の「精神主義」が「国家主義批判」を含みつつ、最終的には「愛国も戦争までも認めてしまう」(末木 2006:193)精神主義の逆転を指摘する(同:191-193)。
[11] 阿満は「エンゲイジド・ブッディズム」を範とし、真宗の社会倫理を説く(阿満 2003)。同書中に阿満が主張するのは真宗に代表される教団宗教が社会的抑圧から人を解放する可能性であり、国家そのもののもつ宗教性はその視野の外にある。
[12] 靖国神社問題との直接のかかわりを離れれば、「在るべき」宗教観から宗教批判をなす論考は多く見ることが出来る。たとえば、本田は「福音」を「宗教」と切断することにより、「在るべき」キリスト教の姿を示そうとする(本田 2001, 2006)。
[13] ナショナリズム研究の側からは、すでにナショナリズムと宗教との親和性が強く示唆されている。たとえば、(アンダーソン 1997[1991]:32)。
[14] 「公私にわたって拡散し、各領域にひそかに浸出して、しかもしばしば、『特定宗教』への参加を、むしろ忌避させるようにすら作用する偏在宗教」(大村 1996:184)と説明される。
[15] ユルゲンスマイヤー(1995[1993]:28-31)は西欧起源の宗教として「世俗的ナショナリズム」を論じる視点を示している。

参考文献一覧
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