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<<   作成日時 : 2009/08/05 10:12   >>

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以下は『精神科学』(日本大学哲学研究室、47号pp.1-16、2009年)に掲載された論文をホームページ用に加工したものです。雑誌掲載の本来の論文とは注の付し方、若干の表記などにおいて異なります。引用される場合は雑誌掲載論文によってください。



             日本における「宗教」概念再検討の課題について
                                           小林紀由

1. 目的
 「宗教」概念は、今日その自明性を喪失した「ゆらぎ」の中にあり、同概念の再検討の努力が試みられている(深澤 2004:16)。西欧の宗教学においては、「宗教」概念成立の背後にあるヨーロッパ中心主義や近代合理主義的価値観が批判され、同概念の廃棄を訴える主張もあるほどである(磯前 2003:30、深澤 2004:18-22)。「宗教」概念が近代の創出になることは広く知られるところであるから、同概念の「ゆらぎ」は、同概念の自明性をささえてきた近代的認識様式の「ゆらぎ」をも意味していると考えられる。
 近代「宗教」概念とは何であったのか。本稿は近代において「宗教」概念が果たしてきた機能の再検討を通し、近代がグローバル化した時代のより良き理解を目指そうとの試みである。本稿においては、特に日本において近代「宗教」概念の果たした(果たしている)機能に着目する。近代のグローバル化した時代を理解するにあたっては、西欧に生まれた近代を受容した非西欧世界の研究が重要である。この研究ではその一例として日本を取り上げる。従って、本稿においては日本語で著述された、あるいは翻訳を通し日本における「宗教」概念再検討の動向に大きな影響を及ぼしている研究成果を資料として取り上げるものである。

2. 宗教社会学から観た近代
 宗教社会学の創唱者とされる二人の巨人、すなわちE.デュルケムとM.ウェーバーとは、いずれも「近代」と「宗教」とのかかわりをめぐる問題に主要な関心を有していた。宗教社会学は、今日「近代」と画される時代における宗教の在り方の問題を、あるいは宗教を通して観られる近代社会を、問うところからはじまったと言えよう。その意味において、宗教社会学の創唱者たちの業績の読み直しは「宗教」概念再検討のための重要な課題である。
 デュルケムが、その宗教社会学分野における代表的業績『宗教生活の原初形態』(1975[1912])の結論において、宗教の祭儀に観察される「集合的感情と集合的観念とを、維持し、強固にする欲求」(同上:下巻341)を、「宗教思想が相ついで包みこむあらゆる特定の象徴の寿命がつきても、なお残存すべく定められた永遠なもの」(同上)とし、それら宗教上の祭儀と「新しい道徳的憲章の制定、または、国民生活の何らかの重大事変を記念する市民たちの集会との間に、どんな本質的な差異があろうか」(同上:342)と問うた時、そしてフランス革命とその失敗とをモデルに新たな実効的国家的祝日・祭儀の成立を模索する旨の記述をなす時(同上:343)、デュルケムが古代宗教の研究を通してその研究の目的としていたところのものが、近代国家の統合にあったことは明らかとなろう。
 近年、翻訳を通し日本に紹介されている欧米の諸著作も、デュルケムのナショナルな関心を強調する傾向にあるように思われる。たとえば、ドベラーレ(1992[1981])は主としてルークス(Lukes 1977)に依拠しつつ、デュルケムの反宗教的精神、科学的根拠を有する共和国イデオロギーを創出し、普及させようとした努力に言及している(同上:18-21)。また、ヴィレーム(2007[2005])はデュルケムが「第三共和制の偉大な司祭であり、神学者であったのだ」とするベラーの言(Bellah 1990:10)を引用し、「デュルケムにとっての最重要問題は、まさに個人主義と有機的連帯(分業)を特徴とする近代社会がいかにしてコンセンサスと社会的凝集を生みだしうるのか、という問題であった」(同上:30)という。
 日本人のデュルケム研究についても同様の傾向が認められる。富永(2008)はデュルケムが活動した第三共和制期を高度経済成長期ととらえ、その時代背景の下で分業と社会的連帯との両立を図ろうとしたデュルケムの思想性を強調するが(同上:233-302)、これも同様のデュルケム理解を示すものであろう。
 デュルケムが宗教生活の二要素として「祭儀」と「世界を説明する」(デュルケム 1975[1912]:下巻344)「思弁的な機能」(同上:347)とを見出し、後者が「将来、過去と同様の役割を演じえないであろうことは、明白である」(同上)と論じた時、社会の統合をなす祭儀の国家祭儀化とともに、近代における宗教の不可避的変容を論じていたとみなすことは当然であろう。そして、その変容過程は未完であり、あるべき在り方を模索しつつあるものであった。その意味で、『宗教生活の原初形態』(1975[1912])は、従来しばしば読まれてきたような、宗教の本質的機能を明らかにすることを意図した純粋に記述的な研究としてではなく、あるいは単純に宗教の起源をトーテミズムに求める宗教起源研究の一種としてではなく ―彼自身が「絶対的始源」(同上:27)としての宗教の起源研究を拒否している(同上:27-28)― それ以上に宗教に代わる、しかし宗教的機能をもった近代社会における新たな社会統合の在り方を論じる規範的関心をもった書として読むべきものなのではなかろうか。少なくとも規範的意図の下に著された記述的宗教起源研究として読まねばなるまい。近代社会とは、宗教的祭儀による統合から離脱し、国家イデオロギー(ナショナリズム)に基づく新たな統合(デュルケムの言う意味における科学的イデオロギーに基づく統合)を志向するものであったのである。言葉を変えれば宗教の「永遠の」機能は近代国家によって担われるものとなったとも言えよう。そして、近代国家の在り方とナショナリズムとはヨーロッパの域を超え、今日グローバルに普及している。
他方、ウェーバーの膨大な宗教社会学の研究の重要部分が、宗教と経済とのかかわりに向けられたものであることはよく知られている[1]。「脱呪術化」「世俗内禁欲」をふたつのキーワードとする『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1989[1920])は資本主義を古代ユダヤ教から始まり、プロテスタンティズムにより完成をみる西洋の宗教の独特の在り方が、資本主義という近代の経済の在り方に結合してゆく過程を詳述する[2]。
デュルケムは近代国家を、そしてウェーバーは資本主義という近代の経済の在り方を、それぞれ宗教的なるもの、前近代の宗教の機能なりエートスなりを引き継ぐものとみなしていたと見て誤りではなかろう。宗教社会学の両巨人の理解を引き継ぐならば、近代国家の理念と資本主義とをふたつの主要システムとする近代は前近代の宗教に取って代わった宗教の新しい在り方(少なくとも前近代の宗教の帰結)なのであり、前近代における宗教は社会の主要システムの座を降りて、下位システムのひとつとして今日にいたっていると考えられる。いいかえれば、宗教とは前近代の社会システムを代表するものと理解されているということである。
確かに、ナショナリズムも資本主義も、今日もはやヨーロッパに固有のものではない。しかし、二つの主要システムが非ヨーロッパ世界に普及する過程は様々な深刻な葛藤にみちたものであった。非ヨーロッパは程度の差はあれ、強制的な近代化を余儀なくされたのであり、多くの場合植民地化の暴力の下にこれを受容したのであった。宗教(特にプロテスタンティズム)が人びとを呪術的宗教から解放する「脱呪術化」「合理化」の過程が、古代ユダヤ教から始まるヨーロッパ固有の宗教史の中で語られるウェーバーの議論が正しいとするならば(もちろんそれ自体様々な異論があるが[3])、非ヨーロッパにおけるそれは外圧によるものであることをも同時に認めなければなるまい。

3. 「世俗・宗教」関係の創出
 近年の「宗教」概念再検討の動向の起源は、1979年のイラン・イスラム革命に求められることが多い(カサノバ 1997[1994]後述参照)[4]。同革命がわれわれにつきつけた問いのひとつは宗教を私的領域のものとして疑わない近代的「宗教」概念の妥当性にあったと言えよう。近代化とともに宗教はその公的立場を降り「私事化」してゆく、その過程を社会の「脱呪術化」、合理化に対応した宗教の在り方として自明のものとしてきた近代「宗教」概念にとって、イラン・イスラム革命とその後の宗教(イスラムばかりではなく諸宗教の)公的復権と観られる動向は「宗教の復讐」(ケペル 1992[1991])などの表現をともない、近代「宗教」概念におおきな「ゆらぎ」をもたらし、「宗教」のみならず近代の見直しを迫るものであった。
 カサノバの著作(カサノバ1997[1994])は1980年代に観察される諸現象(イラン・イスラム革命、ポーランド連帯運動およびサンディニスタ革命等におけるカトリックのかかわり、プロテスタント根本主義の高まり)を、宗教の「公的領域」への介入の高まり、「公共性」獲得の動きととらえ、従来の「世俗化」論を見直そうとする研究であるが、後述する「公共宗教論」の文脈で現代日本の宗教研究に大きな影響を与えている。「宗教」概念が「世俗化」の中で生まれた(深澤 2004:25)ことを考えれば、「宗教」概念再検討の動向が「世俗化」論の再検討として現れるのは当然であろう。
 カサノバ(1997[1994])は「世俗化」論(それは今日大きな疑いの目で観られ、放棄されることすらある)が三つの命題から成り立っていたとする。すなわち、@「宗教的な制度や規範から世俗的領域が分化していくという意味」(分化説)、A「宗教的信仰や実践が衰退していくという意味」(衰退説)、B「宗教が私事化された周縁的領域に追いやられていくという意味」(私事化説)の三命題である(同上:30-31,268)。
 カサノバはこのうち、分化説は「世俗化」論の中心命題であり、今日においても(つまり1980年代以降の動向を考慮しても)なお有効であるという(同上:15)。他方、私事化説については、私事化が社会の近代化という構造そのものに由来するものではなく、近代化に対応した宗教のひとつのオプションにすぎないという(同上:272)。
 カサノバは今日、イラン・イスラム革命以後われわれが観察している現象を、「私事化」と同様、不可避的な分化の過程の中で生じている宗教のひとつのオプションと位置づけ、これを「脱私事化」(deprivatization)なる語を用いて説明しようとする(同上:13)。
 同氏によれば、前近代の西洋キリスト教世界は、「二重の二元論的な分類システムをとおして構造化されていた」(同上:24)。すなわち、この世とあの世の二元論と、この世の中の「宗教的領域」と「世俗的領域」という二元論である(同上:24-25)。「世俗化」はこのような二重の二元論が崩壊し、新たなシステムに取って代わられることを意味する(同上:25)。
 「世俗化」した、つまり上述の意味における二重の二元論を脱した近代社会は、国家と市場という二つの上位システムの下に、互いに競合する様々な下位システムを有する構造をもつが、宗教もこの下位システムのひとつとなった(同上:32)。
 カサノバは、1980年代以降の動向を観察、分析し、まず公認教会という宗教の在り方は「近代的な国家とは両立不可能」(同上:270)、「近代の市民的な原則とは両立不可能」(同上)であるとしつつ(すなわち、国教会的あり方も、討議を拒否する原理主義者の主張も近代社会と適合しない)、中絶問題に対するカトリックの働きかけのように、「私的領域に公共性つまり間主観的な規範をもち込む」(同上:275)ことや、「国家と経済という公的領域に道徳性をもち込む(共通善の原則を規範的基準として)」(同上)という二つの意味での近年の公共宗教(個人の心の救いのみを目的とする宗教と区別されている)の在り方を「脱私事化」と表現するのである。
 すなわち、国家レベルで公認教会をめざす動向や、政党活動等様々な形で観察される政治社会レベルでの運動は近代の原則と合致しないとしながら、市民社会レベルで公共宗教を目指す上述のような動向は、「近代の分化した諸構造と矛盾しない」(同上:277)在り方であるとの主張である。すなわち、私事化も宗教にとってのひとつのオプションであるが、市民社会レベルでの脱私事化もひとつのオプションであり、それが高まりを見せているのは「啓蒙主義的合理主義や世俗的近代性が危機に瀕しているからである、とするのが適当である」(同上:287)と論じられる。
 もっとも、カサノバは近代の危機と「古い神々」の再帰動向との関係については、次のような認識を示している。
 「せいぜい言えるのは、世俗性の危機は、世俗化によってまだ徹底的に弱体化されてはいないある宗教的伝統が、ある一定のやり方で応答するのを許すような一般的条件を整える因子として役立ちうる、ということだけである」(同上:287-288)
 本書の訳者(津城寛文)は「現代的な価値と『存立可能』で、近代の拡散した公的領域の健全化のために『望ましい』、市民社会を領域とする公共宗教の形態がありうる」(同上:387)ことを結論とするとまとめているが(「訳者あとがき」、同上:387-390)、報告者にはカサノバの議論は、「世俗化」論の中心部分を近代化にともなう不可避的な部分として位置づけなおすことにより(宗教の下位システム化は決定的である)、一見「聖なるものの回帰」に見える現在の諸事象が、近代の歩みの一局面にすぎないことを論じているように読める。
 一見した「宗教復興」が決して社会の「再聖化」を意味しないとの見方を支持する者は多い。ドベラーレ(1992[1981])は、社会の主要システムの座を降り、成員の自発的意志による参加に期待せざるを得ない自由な宗教市場の中におかれた諸宗教が、伝統的共同体の崩壊にともなって生じるアノミーに対応し再活性化する現象が今日観察されるとしても、それは社会における宗教復興なのではなく、むしろ「社会の非聖化」を確認させるものだという(同上:187)。
 ヴィレーム(2007[2005])も同様の見方を示す。宗教と民族とが結合し、集団のアイデンティティを表明しようとする動向は、「宗教的なるものの回帰」ではなく、世俗化の延長上に見られる「超近代」(ウルトラモダニティ)の特徴である(同上:143)という。
 イラン・イスラム革命とその後の世界の動向が問うていることは、「宗教」と「世俗」との関係である。すでに見たように、そもそも「宗教」概念は近代国家と資本主義市場経済とを主要システムとする「世俗」と対をなす概念であり、「世俗」を公的部門に、「宗教」を私的部門に割り振る発想こそ、近代「宗教」概念がその前提とするものであったと言えよう。従って、近代における「宗教」概念の誕生は近代的「世俗」の誕生でもあったわけである。
 アサド(2006[2003])は、近代のパラダイムとしての公と私、世俗と宗教という二項区分の成立を、とりわけ従来看過されてきた「世俗」の形成という側面から分析しようと試みている。アサドの研究成果(2004[1993]、2006[2003])は現代日本における「宗教」概念再検討の動向に重大な影響を与えており、すでにアサドと日本人研究者たちとの共著になる成果も公にされている(磯前・アサド 2006)。
 アサド(2004[1993])は近代国家の統合の要請こそが宗教をして私的領域に属するものへと変化させたのだと論じる(同上:199-200)が、その世俗(国家)は今日、われわれの生き様に決定的なかかわりをもっている。アサド(2006[2003])は次の様に論じる。
 「近代国民国家は、個人の生のあらゆる側面を ―誕生と死のような、もっとも私的な事柄までをも― 規制しようとしている。そのため、宗教の信者であろうとなかろうと、誰一人としてその野心的権力との出会いを避けることができない。」(同上:260)
 国家に対する個人の人間としての権利を保障する人権という近代の発想すら、実態としては国家による保護や罰する権利に依存している(同上:177)。
 だから、近代が「脱呪術化」によって人間を自由にしたなどと考えることは出来ない(同上:293)。次のように論じられている。
 「以前には存在しなかった、近代の生における数多くの法的制約(最低結婚年齢、一夫多妻の規制、結婚と離婚の国家登録の必要等々)のことを考えるべきである。個人が得るものは、以前とは異なる様式の制約と可能性なのであり、これは再定式化された刑法のうちに反映されている。」(同上:292)
 近代は宗教に代わる新しい統治のあり方なのであるから、したがって、宗教が公共的問題に深く関与することは、世俗によって拒否される。それは「すでに世俗が占拠している空間に宗教が参入する潜在的な可能性を示唆している」(同上:261)ために「脱私事化した宗教は、世俗主義者には耐えがたい」(同上)のである。
 国家が宗教的原理に基づくものであってはならない、と主張するものとしての世俗主義なる語は19世紀中葉の西欧に生まれたという(同上:274)。とはいえ、近代国家自体は決して世俗的(非宗教的)で合理的であるわけではなく、政治的神話や暴力に決定的に依拠している(同上:60)。この世俗主義の下で、宗教は私的な信仰の問題とされるが、その信仰を表明し、その宗教を行使する時に公共的領域にかかわり、その限りにおいて国家の規制を受ける。
 世俗と宗教は近代に形成された二項区分であり、近代とは世俗的なものと宗教的なものとを分かつ一つの「政治経済的なプロジェクト」(同上:17)として考えられるが、「世俗的なるものとは、それに先行するとされる宗教的なるものと連続しているわけでもなければ(つまり、聖に起源するものの最終段階なのでもなければ)、単純に断ちきれているわけでもない(つまり、その反対物 ―聖なるものを排除する一個の本質― なのでもない)」(同上:30)。実際には両者は複雑に入り組んでいて、その関係は常に再創造されている(同上:122)。だから、問題は、この二つの区別、範疇が誰によって、どのように、形成されるのかを明らかにすることにある(同上:263)とアサドは主張する。特に、非西欧においては、西欧の世俗主義を受容して、世俗・宗教関係を形成したのだから、この過程の解明は重要になる。アサドはそれをエジプトの法制度の世俗化によって議論する(同上:271-337)。

4. 中間的まとめ
 デュルケム、ウェーバー以来の宗教社会学がすでに認め、そしてアサドも指摘するように、「世俗」は「宗教」と切断された合理的なものであるわけではない。「世俗」は「宗教」とは異なることを標榜しつつも「宗教」と連続性をもった近代社会の在り方を示している。ユルゲンスマイヤー(1995[1993])にいたっては、世俗主義を西欧起源の宗教とみなす見方を示す(同上:28)。それにもかかわらず、「世俗」が非合理的な「宗教」と切断された合理的な社会の在り方を示すように受け止められている、そのような広く受容されている認識の背後には、言説レベルにおける「世俗・宗教」の二項区分があったのではなかろうか。「宗教」概念の普及は世俗主義の普及とともにあった。近代社会において「宗教」は「世俗」の宗教性(非合理性)を隠蔽し、合理的なよそおいをもった「世俗」の普及を助けて来た。言いかえれば、近代に創出された「宗教」は「世俗」の宗教性を隠蔽するためにあった、とも言えよう。そして、そのような「宗教」にかかわる言説を生産してきた宗教学も同様の社会的機能を負ってきたとも言えよう。

5. 試論 日本における「宗教」概念再検討の課題
 さて、近代的「世俗・宗教」関係の形成過程は、それを生み出した西欧と、非西欧とではまったく異なる。さらに、日本はとなるとカサノバもアサドもその検討対象からはずしている。
 非西欧世界における近代化は西欧列強による植民地化とともに強制されたものであり、程度の差はあれ今日「伝統的」とみなされている宗教(と今日表現されるもの)の抑圧・変容、あるいは破壊をともなうものであった。西欧において「宗教」概念の普及が世俗主義の普及とともにあったとすれば、非西欧における「宗教」概念の伝播は、植民地主義による世俗主義の伝播とともにあったのであるが、その際、西欧においては世俗主義以前の旧体制を代表するものとして主体的に克服された宗教(すなわち前近代的統合の在り方)が、非西欧においては暴力的否定に直面し、新来の「宗教」概念の下に再編を余儀なくされていったことになる。
 日本は、戦前は西欧による占領・支配を受けることはなかったが、やはりその近代化には外圧が大きく働いていた[5]。日本の場合は、徳川旧体制を代表した仏教を公的位置から引き下ろし、「伝統的」(国民の伝統)と位置づけ直された神道を中心とする宗教の天皇制的再編により、いわゆる国家神道体制を形成し、他方否定されるべき旧体制であった仏教は新たに「宗教」として私的領域にあって国家統合に寄与する道を選択したわけであるが[6]、国家祭儀・国民儀礼は神道式のものではあっても非宗教(あるいは宗教を超えるもの)とされた。「伝統的」とされる宗教を公的なものとして(従って、西欧的「世俗・宗教」関係を受容しようとした日本においてはこれを「非宗教」として)、近代国家を形成しようとする在り方は、今日のイスラム世界やヒンドゥーナショナリズムが指摘されるインドに観られる動向と方向としては同一であるとも言えよう。近代日本の在り方は、「伝統的」とされる宗教を残存させ得た非西欧国家のポストコロニアルな在り方の先駆をなしていたとの解釈をなすことも、あるいは靖国神社問題に観られるように戦後の日本もある程度そうであるとの解釈をなすことも、可能であろう(小林 2007)。島薗(2004)は戦後日本における皇室祭祀の半公的な存続(皇室の私的行事との位置づけで実際には公的な側面をもち存続している)と神社本庁の政治姿勢のうちに戦後日本における国家神道の存続を見出す議論を展開している[7]。
 しかし、言説レベルにおいては、日本は他のポストコロニアルな非西欧世界とも異なり、「伝統的」宗教を公的な「非宗教」とし、もっぱら私的な心の問題にかかわる「宗教」と区別してきた。西欧近代国家が、少なくとも理念の上では「宗教」との切断の上で公的部門を形成したのに比すると(言い代えれば、「世俗」という新たな宗教を形成し、前近代的宗教を私的領域においてのみ許容したのに比すると)、日本は公的部門と「宗教」との切断を(つまり「世俗」を)理念上のつじつまあわせをなした上で事実上は受容せずに「宗教」概念のみを受容したと言えるのではなかろうか。すなわち、西欧においては本来そこに「宗教」が位置づけられた所の「世俗・宗教」構造を拒否し、その構造と切断して「宗教」概念を受容したのではないか。そして、国家にかかわる公的部門を実際的には宗教でありながら非宗教としてきた歴史は、憲法上政教分離を明確化したはずの戦後においても「伝統」(特に「国民の伝統」とされるもの)を「宗教」と切断し、国民アイデンティティの中核とする形での文化ナショナリズムを強化してきたのではなかろうか。
 国家が「宗教」によって権威づけられることを公式的には許容し得ない近代世俗国家においては、「宗教」と切断された(と見える)伝統こそが国家の権威を構成するということだろう。天皇制も「宗教」としてではなく伝統としてこそ、その権威が承認される。堀米(1978)はヨーロッパ史を語る文脈で、被支配者の自発的服従を引き起こす権威を権力と区別し、その根拠が伝統と宗教によって与えられることを論じ、日本の天皇制を説明する際にもこの理解が重要であると論じているが(同上:135)、近代はこのうちの宗教を公的権威の根拠づけとしては少なくとも公的には排除した。それ故にこそ、ホブズボウム(1992[1983])の指摘する「伝統の創造」は重要な意味をもったのであり、憲法上は神道と国家との分離の道を取った戦後の日本も、そのような法的には宗教と切断された(しかし、後述するように実際には切断されていない)伝統による国家の権威づけを必要とした、そして今日でも必要としている、のではなかろうか。
 吉野(1997)はナショナリズムを集合的な信仰として下記の様に定義する。
 「ナショナリズムとは、歴史的・文化的に独自の特徴を持つ共同体であるという集合的な信仰、さらには、そうした独自感と信仰を自治的な国家の枠組みの中で実現、推進する意志、感情、活動の総体である。」(同上:236)
 吉野(1997)はさらにこのナショナリズムを理念上、「政治ナショナリズム」と「文化ナショナリズム」とに区分した上で、「文化ナショナリズム」をさらに「創造型ナショナリズム」「再構築型ナショナリズム」に分ける。「創造型ナショナリズム」はネーション形成の段階に見られるもので、民族の独自性を祖先起源、祖先文化と結びつけ歴史主義的に表現する、そしてこれを学校教育を通じ一方的に民衆に伝達する特徴を有する。他方、「再構築型ナショナリズム」はネーション成立、定着後にヘリテージ・ツーリズムや文化人類学的民族論において表現される特徴を有するもので、吉野はこれを戦後「日本人論」の生産・流通・消費の在り方に見出す視点を示している(同上:239,242)。
 また、島薗(1997)にも同様の視点が見られる。同書は「日本文化の特徴を単純化した形で定式化し、その独自性をはなはだしく際だたせる」(同上:229)言説群を「日本人論」「日本文化論」と呼び(同上)、現代社会におけるその高まりの中で、1980年代に入り神道を日本の宗教的伝統と位置づけこれに高い肯定的評価を与える「自己主張的日本宗教論」(島薗による呼称)が、しばしば「霊性」の強調と結びつき、台頭してきていると論じる(同上:229-232)。
 「国民の伝統」は宗教を含みつつ、「非宗教」として(あるいは「宗教」を超えるものとして)支持される。その意味では戦前に形成された国家神道体制下の「宗教」概念は、戦後の日本にも大きな影響をおよぼしている。いうまでもなく、「国民の伝統」は宗教と切断出来るわけではない。しかし、西欧的「世俗・宗教」の二項区分とは異なり、言説レベルにおける「国民の伝統」と「宗教」との二項区分が存在し、「国民の伝統」の宗教性を隠蔽しているとの指摘が可能であり、西欧「宗教」概念のゆらぐ今日においても、なおこの二項区分は堅固であるように思われる。現代日本における「宗教」概念再検討の課題は、この二項区分を問うところに置かれねばならないのではないだろうか[8]。


[1] ウェーバーの宗教社会学の全体は(デュルケムと同様)社会統合の在り方に向けられている。ヴィレーム(2007[2005])はウェーバーの研究につき以下のようにまとめている。
「ウェーバーは初めから社会現象としての宗教が持つ、二つの主たる特徴に注意している。すなわち、宗教が生み出す社会的紐帯とその権力様態である」(同上:42)。
[2] 姜尚中(2003)によれば、当初刊行された『プロテスタンティズムと資本主義の精神』には「脱呪術化」(姜はおおむね「脱魔術化」を用いる)の概念はどこにも見当たらない、という(同上:23)。当初の中心的関心はむしろ「世俗内禁欲」にあったとの理解である。
[3] たとえば、椎名(1996)は、ウェーバーのルター、カルヴァンおよびカルヴァン派神学の誤解や階級的分析の不十分さを指摘し、資本主義の精神の成立を、「もともとカルヴィニズムとの親和関係のない労働者や、自己の合理的計算にもとづいて信仰をもたない企業家の量的(・・)増大(・・)」(同上:4)に求める視点を示している。しかし、プロテスタンティズムと資本主義との継続性をカルヴィニズム側の方向転換に求める議論も、両者の断絶性を強調する議論も、資本主義がキリスト教に取ってかわったことを認めるものであることに注目すべきであろう。いずれにせよ、(資本主義がキリスト教の子であれ、そうではないものであれ)キリスト教は近代においては社会の主要システムの座をおりたのであり、宗教とは前近代の社会システムを意味しているのである。
[4] 世界の二項対立的理解枠組が、資本主義と共産主義の対立というそれから、世俗的ナショナリズムと宗教的ナショナリズムのそれへと移行した、という意味では、ソビエト連邦の崩壊以降に「宗教」概念再検討の動向が促進されたと見る見方も可能である。とりわけ、宗教とナショナリズムとのかかわりに関する研究はソビエト連邦崩壊を契機として活性化しているように思われる(新免1997:28)。
[5] 戦前は植民地支配を受けることのなかった日本であるが、それは日本が植民地主義と無縁であったことを意味するものではない。日本はむしろ、植民地支配をなす側にまわった国家でもあり、その近代国家形成過程では、北海道と沖縄とを国土化していった。沖縄について言えば、それは琉球王国の併合であった。従って、沖縄の近代化は日本による暴力的強制の下に行われた。沖縄において「伝統的」とみなされる宗教は、日本による併合によって公的には崩壊し、以後は民間信仰として私的領域に封じこまれ、今日ではその聖地や祭りは観光資源として、観光者による消費の対象として残存するにいたっている。
 沖縄はさらに、1945年から1972年の間は日本から切断され、米軍統治という事実上の植民地統治下におかれ、キリスト教の大規模な流入を含む、アメリカ文化の影響を受け、異種混淆的な文化を形成するが、世俗的には大勢として日本国家への統合を志向し、今日にいたる(林 2005)。戦後の沖縄を含めれば、日本が被植民地化を経験しなかったとは決して言えない。沖縄を日本の一部としながらその植民地経験をわがものとしない姿勢は日本の対沖縄政策の今日にいたる特徴であり、戦後日本も沖縄を植民地的に切断し、あるいは統合してきたと論じることも可能であろう。いずれにせよ、日本の植民地主義と宗教とのかかわりを研究するにあたっては沖縄を無視することは出来ない。
[6] 磯前(2003)は戦前に活躍した神道学者田中義能等の研究を通し、神道が皇道と一体のものとされ、国民精神とされてゆく過程を明らかにしている。
[7] 島薗(2004)は以下の様に論じている。

 戦後の国家神道は二つの大きな座をもっていた。一つは皇室祭祀であり、もう一つは神社本庁を重要な担い手とする政治的な天皇崇敬運動である。前者は見えにくい形に隠れているが、現存の法制度の中での国家神道の核であり、後者はその核を見据えつつ、国家神道的な制度を拡充していこうとする団体や運動体である。20世紀後半の日本の国家神道は、「隠れた皇室祭祀と運動体の中の国家神道」の連合体として特徴づけることができるだろう。(同上:500-501)

 確かに国家主導であった戦前の国家神道と現代の「隠れた皇室祭祀と運動体の中の国家神道」では大きく性格を異にする。しかし、そこには太い連続性がある。国家神道は消滅していないだけではない。実は「解体」さえされてはいなかったと見る方が適切だろう。(同上:502)
[8] いずれにせよ、戦前・戦後の日本における「宗教」概念の研究は重要な課題である。政教分離思想とともに「宗教」概念が導入されることがなければ、神社あるいは神道を非宗教とする国家神道の形成もあり得なかった。幸いにして、近代日本におけるナショナリズム形成と宗教とのかかわりについては、国家神道研究の蓄積があり、さらに近年は安丸(1992)、島薗(2001)、磯前(2003)、坂本(2006)等のすぐれた研究が公にされ、今後の研究の進展も期待される。他方、戦後、資本主義の一層のグローバル化の中で成功を遂げた日本における「宗教」概念についてはいまだ十分な成果がみられるとは言えないのが現状であろう。われわれに残された重要な課題と言わねばなるまい。

参考文献
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日本における「宗教」概念再検討の課題について 小林紀由研究室/BIGLOBEウェブリブログ
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