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zoom RSS パウロの回心体験というもの

<<   作成日時 : 2016/06/11 13:47   >>

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パウロの回心体験というもの

筆者は聖書学の専門家ではない。
宗教学を仕事にはしているけれど、聖書学は宗教学の部門というわけでは決してない。また、筆者は聖書学の専門家になろうと努力したこともない。

さらにいえば、筆者はキリスト教会の信者でもない。

ただ、興味をもって、また少しばかりの必要もあって、聖書をよく読んではいるというだけの者だ。ついでに本当に少しばかりは聖書についての学問的注解書なども読んではいる。宗教学という立場から聖書に興味があるからなのだが。

そんなわけで、聖書学とも教会とも縁がない立場で以下のことを書く。

新約聖書の「使徒行伝」には3個所にわたってパウロの回心体験が記されている。

その3個所、9章1〜19節(以下9:1−19)、22:1−21、26:9−20は結構異なっている。特に26:9−20は他の2個所とだいぶ違うように読める。アナニアなる人物が登場しないのは特に筆者には気になる。

もちろん、「使徒行伝」の著者(伝統的にはルカ)が文脈にあわせて書き換えていったのかもしれない。そのわりには、いろいろ不整合な面もあるけれど、ルカさん自身が気づかなかったのかもしれないし、古代のことなのだから直せなかったのかもしれない。あるいはまた、もともと違う伝承があったのかもしれない。どちらの考え方もあるようだ。

さらに、「コリントの信徒への手紙U」の12:1−5に書かれている神秘体験はひょっとしたらパウロ自身のものかもしれないし、さらにひょっとしたらこれが彼の回心体験と何らかの関係があるのかもしれないと疑ってみたくもなる。

とまあ、いろいろな疑問があるのだけれど、パウロの回心体験については何の疑いもなく「使徒行伝」9を指摘するむきが多いように思う。
高等学校の倫理の教科書もそう書いている。

「使徒行伝」の記述は非ユダヤ人への宣教に向かうようになるパウロの転換点を書こうとしているようだから、回心体験というより宣教者となる体験といったように読めるし(そういう指摘も読んだ)、そういった体験が一定の形をとった伝承として形成されて「使徒行伝」にもられたという可能性もあるだろう。
そういった伝承がパウロの体験そのものを伝えていると理解するのは単純にすぎるのではなかろうか。

それに、ルカさんとパウロとの関係も分からないし。

パウロ自身は「ガラテアの信徒への手紙」1:12−17に回心のことを書いているが、その体験の中身は分からない。

どうして、「使徒行伝」9の記述がパウロの回心体験だということになるのだろう。

教会の立場はもちろん理解できるのだけれど、いろいろな学問の立場の人も、学校の教科書も無頓着に「使徒行伝」9をパウロの回心体験として書くのは、いささかどうなのだろう。

最後にもういちど書くが、これは聖書学とも教会とも縁のない者のちょっとしたエッセイにすぎない。

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